Barros-Keiコラムとは?

フィリピンにおける裁判手続きや結婚手続きなどで多くの誤認情報をネットで見かけます。またフィリピン人からの古い口コミ情報を信じている人も沢山います。以前日本のかなり手広くやっている行政書士グループ会社ウェブサイトに、当社の文章を丸々パクられたことがあります。責任者にすぐにクレームを出し全て削除させました。たとえ肩書きが弁護士や行政書士であっても、日本にもフィリピンにも専門知識のない業者は数多くいます。しかし知識や情報を持っていない依頼者の方たちは、その肩書きを信じて頼るしかありません。そういう現状から本コラムが、これからフィリピンで何かアクションを起こそうとする方たちのために、少しでも役立つものになればいいと思います。また立派な肩書きを持つ人たちは、それに恥じないようもう少ししっかりと勉強してから情報を発信すべきです。そもそも知識や経験というものは、フィリピンに長く在住しているから自動的に得られるというものでは絶対にありません。同じようなレベルの人間としか交流がないのであれば、たとえ50年在住していようとも、濃い日々を過ごした人の1ヶ月にも及ばないことがあるのです。当コラムの目的はそれらを正し正確且つ最新の情報を伝えることにあります。
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2019年5月25日土曜日

DFA認証システムとPSA証明書署名権限者の変更

フィリピン外務省認証(DFA Authentication)は、永らく通称「レッドリボン」として国民にも日本人にも認知されてきた公文書でしたが、本年2019年5月より、ついに旧態依然とした従来のレッドリボンを付与したフィリピン外務省認証が廃止されました。

新認証システムは、1961年10月5日締結のハーグ国際私法会議条約に批准したアポスティーユを採用し、画像をご覧いただければ分かると思いますが、赤リボンもなくなっています。

ただし引き続き赤リボンを付与するつもりだったのか、右上部にピンの入った穴があるところが、右往左往した上で紆余曲折で時間を無駄に費やすフィリピン行政らしさを感じました。

旧書式のDFA認証(あと数年もすれば「懐かしい~」、となるかもしれませんね)

そして新しいDFA認証(DFA Apostille)

ちなみにアポスティーユは、フィリピンでは英語発音で「アポスティル」若しくは「アポスティール」と呼ぶようです。

それからフィリピン統計庁(PSA)の署名権限者が、国家統計局(NSO)に君臨していたカルメリータ・エリクタ女史を引き継いだ、統計学者であるリサ・グレイス・ベルサレス女史が、庁に格上げとなって以来務めてきましたが、統計庁の高級官僚である次官補のジョシー・ペレス女史に署名担当行政官に交代となったようです。

ただこれもフィリピンらしいと言ってしまえばそうなのですが、DFAアポスティーユでは、統計庁署名権限者が「JOSEI B. PEREZ」と「JOSEI G. PEREZ」の二通りのミドルネーム略字が存在しており、すでに大量印刷してしまっていることから、当面使い切るまで両方が発行されることになるのでしょう。。。
 
使い切ると言えば、レッドリボンやPSAのリサ・グレイス・ベルサレス署名についても同じことが言えます。旧書式の在庫がある支所では、依然として同署式で発行されているのが現状です。暫くの間は新旧書式が混在した状況になることでしょう。

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2015年6月22日月曜日

ボラカイ島のビジネス・マーケティング

前回掲載記事の通り日本企業からの依頼でボラカイのビジネス・マーケティングを行うため、4月23日から5月7日の15日間アクラン州に滞在し、その間に3泊4日で2回ボラカイ島に滞在し現況調査を実施しました。

日程は4月23日NAIA-T3からセブパシフィック利用でカリボ空港、
当日は義母が放置しているニューワシントンの養殖場に一泊、
翌24日から27日までボラカイ島に移動し現況調査、
27日から5月1日までニューワシントン、
5月1日から4日までボラカイ島、
4日から7日までニューワシントン、
というニューワシントン・ボラカイ間を往復しただけという感じでした。


ボラカイに向かうのには、ニューワシントンからカリボに出てバンのターミナルに行きました。このターミナルには韓国資本の旅行会社、その会社が運営する輸送サービス、ボラカイのホテル、が三位一体という感じでパッケージとして提供されていました。バンは18人乗りでHyundai(現代自動車)と「K」ブランド尽くしで徹底されていました。

約45分間のフィリピン人運転手お決まりの乗客の安全無視・恐怖ドライビングで、カティクラン・ジェティ・ポート(Caticlan Jetty Port/Jetty Portとは港桟橋のこと)に到着。ボート乗船で約20分弱、ボラカイ・ジェティ・ポート(Boracay Jetty Port)到着。電動コミューターでDモール(d'mall)、徒歩でホテルにチェックインという行程でした。

有名ホテルに直行する宿泊客は別にすれば、ボラカイ・ジェティ・ポートからコミューターで来る観光客の殆どは、このDモール入り口となるクラフツ・オブ・ボラカイ(Crafts of Boracay)というスーパーマーケットのビルが乗降のランドマークになっていました。
このビルは実質韓国資本の商業ビルで韓国人客は殆どがこのビルの前で降車します。

ホテルは最初はシャングリラやサーフサイドあたりのホテルをネット予約しようと考えましたが、クライアントのビジネスターゲットとは明らかに違っていることから取り止めました。

Dモールとステーション2の間に2~3スタークラスのローカルホテルが無数にあるので、予約せずに当日飛び込みで交渉に回り、築半年で4人一部屋1,400ペソの好条件のホテルを、我々一向は全員で8名だったため2部屋取ることで落ち着きました。

ボラカイは2001年以来の訪問だったので、事前に近況をWebサーチし、韓国人カップルの海外ハネムーンや、家族のリゾート旅行先になっていることは想定内でしたが、それ以上にボラカイが韓国人の町と化していることに驚きました。

14年でここまで変わるのか…私には自然破壊が進行したとしか見えませんでした。

ちなみに2001年7月当時のホワイトサンドビーチはこんな感じでした。










アングルは違いますが今はこんな感じ。










ボラカイという島名があまりに有名になったためご存じない方も多いと思いますが、アクラン州マライ自治体内にある島の呼称であって住所とは違います。ボラカイは、マノク-マノク(Manoc-Manoc)、バラバグ(Balabag)、ヤパク(Yapak)という3つのバランガイから成る島なのです。観光客が集中するホワイトサンドビーチはマノク-マノクとバラバグにまたがる砂浜です。この2つのバランガイはすでに韓国資本によって制覇されているように見受けられました。

ヤパクは現在も貧困層階級の町ですが、これからビジネス進出を検討するなら狙い目かもしれません。

というのは皆さんご存知のマニラ・オーシャン・パーク&H2Oホテルのディヴェロッパーである、Seven Seas Properties,Inc.がこのヤパクのプカ・ビーチ(Puka Beach)に、Seven Seas Boracay Hotel & Residencesというリゾートホテルを建設中だからです。
Seven Seas Propertiesは中国系企業で、開業当時どうしようもなくアホな運営をしていたマニラ・オーシャン・パーク事業に参入、現在そこそこの集客がある施設へと変貌させています。ヤパク住民の反対運動がありますが、リゾートホテルが完成すれば地域にも有形無形の恩恵を齎すものと考えています。こうした発展が見込まれる地域に便乗したビジネス戦略があるのです。

ホワイトサンド・ビーチのエリアに戻りますが、バーやレストランが乱立している様子は、無計画に海の家を乱立させていた一時の湘南海岸を思い出してしまい、見た目にとても気分の良いものとは言えませんでした。店舗とビーチの間は通路になっていますが、人が多すぎてすれ違うのもぶつかるのを避けながらの歩行になり、人と肩が触れ合うことを嫌がる日本人には不適です。(もっともモールなど、どこに行ってもそうですが)

この各3泊4日の2回に渡る調査の結果、クライアントのボラカイ進出に見合うコンサルティングができました。ここではその詳細をお伝えすることはできません。しかしボラカイへのビジネス進出を考えている人のために、ほんの一部ですが押さえておきたい情報を紹介します;

1.観光客の30%は韓国人、60%がフィリピン人、残りは中国人、東欧/北欧人も多い。

2.外国人観光客の推定平均年齢28歳(児童は含まず)。
  痛いオヤジ系は探すのが大変な程見かけない。


3.日系(日本料理・ラーメン店、ダイビング)は苦戦or閉店。
  価格は同レベルのマニラにある店と比較して約20%高。


4.中華料理系・焼肉系は苦戦or閉店。
  価格は同レベルのマニラにある店と比較して約10%高。


5.集客力のあるフードビジネス
  ・SUBWAYなど味が確かなファーストフード
  ・アイスクリーム、ワッフル、クレープなどスイーツ系
  ・グリル系レストラン
  ・ポテト系・BQQ系の屋台(カートフランチャイズ)
    価格は同レベルのマニラにある店とほぼ同じ。


 6.ダイビング・ショップ運営は団体客招致能力があれば可能。
   価格はバタンガスやセブよりも高い。


 7.バーやカフェは競合店との差別化が必須。一時流行ったミルクティー系は苦戦。
   集客力のあるバー・カフェ
   ・アトラクション系
   ・スポーツバー系
   ・コーヒーフリーク向けカフェ
  価格は同レベルのマニラにある店とほぼ同じ。


8.土地の相場価格はビーチフロントで1平米あたり1万2千~2万ペソ、
  ビーチフロント外では1平米あたり7千~1万ペソ。
  しかしビーチフロント外はその相場の半分程度の価値しかなくビジネスには不向き。
  ビーチフロントは高いので原資回収期間持ちこたえるだけの資本力がなければ無理。


9.パラセイリング、サーフィン、ウインドサーフィン、ヨットなどの
  マリンスポーツ事業は良好。ただし乱立しているため客引きに必死。
  トレンドになっているパラセイリング利用料金は15分1,500ペソが相場。
  他の利用料金はバタンガスやセブよりも高い。
  ヨットの帆などに入る広告は有名企業が殆ど。
  広告料は月8,000ペソと日本人がマニラでやっている広告料と比べ格安。


10. 韓国資本での運営がマリンスポーツでは70%、
  フードビジネスで50%、ローカルホテルで30%、
  旅行代理店・輸送ビジネスで30%、スーパー20%、
  お土産・ファッション・ブティックで30%を占めている。
  韓国資本で運営されている事業の従業員たちは
  コスパで差をつけるため比較的待遇を良くしている。


調査を続けながら感じたことは、ホワイトサンドといっても感動するほどきれいではない、当てにならないランキングは無視して、格で言えば沖縄の方が断然上である、観光客はメディアに踊らされているだけかもしれない、というネガティヴなことばかりでした。

今回のマーケティングはヒアリングが中心でしたが、コミューター・ドライバー、観光案内所スタッフ、レストランやバーのオーナー/スタッフ、3つのバランガイ長/観光開発委員、ホテルマネージャー、セキュリティ・サービス責任者、マリン・ビジネス・マネージャー、建設業者、漁師家庭の地域住民、外国人観光客、そしてフィリピン人観光客など多岐に及ぶ範囲で実施しました。

中でも私に最も協力してくれて、最高のソース元となったのが、韓国資本のマリン・ビジネス・マネージャーであるトンボイ(Tomboy)でした。彼(彼女)はカレッジ卒だそうですが、さすが観光地で働くだけのことはあって、英語のキレと笑顔は抜群でした。

私のことをずっと韓国人のビジネスマンだと思っていたらしく、日本人だと言うと少しガッカリしたような表情を浮かべていました。そこでその理由を聞く代わりに外国人観光客の評判について尋ねました。

ここマライ(地元の人間はボラカイとは余り言わない)では、韓国人の特にビジネスマンたちは非常に評判が良いが、日本人はボラカイに来ても高級ホテルにいるだけであまりビーチには出てこない、プールで泳いでいるみたい、ともっぱらの評判だそうです。また日本人の殆どは40歳後半から60歳くらいの人たちばかりで、たまに見かける若い日本人はマナーが悪く言葉も分からないのであまりボラカイ向きではないと思う、東欧/北欧人は大騒ぎするのでどちらかと言えば嫌われている、中国人はあまりレストランには出かけないけど、ショッピング好きなのでショップでは歓迎されている、という話も聞けました。

他の場所でのヒアリングでも、何だ日本人か、というような歓迎しない態度も取られていましたので、国の評判も土地柄によりけりなのだと感じました。

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2015年6月17日水曜日

フィリピンの養殖ビジネス/台風グレンダで頓挫した養殖業の現状視察(その二)

前回記事の続きです。

視察しヒアリングも行った過程で、私が感じたことはそもそも何でこの視察滞在が必要だったのかということでした。台風被害と言っても20~30cm程度の床上浸水だったそうで、それならば壊滅状態というのは誇大表現過ぎるなと感じていました。

義母が投入した資金は土地購入も含めて総額70万ペソ。彼女は当社のグループ企業でアパート経営事業、賃貸コンドミニアム事業などを次々と成功させているにも拘らず、身内に任せきって管理していなかったツケでしょうか、この程度のもので終わってしまっていることを情けなく思いました。

とにかく先ずは要件を考えると

1.マングローブの汽水域
2.自然環境保護政策地域
3.市街地への移動はボート
4.ネット環境、携帯電波状況は良好
5.水道問題なし
6.計画停電頻度はマニラと変わりなし
7.住民のホスピタリティは都心部よりもはるかに良い
8.外国人慣れしているので珍しがられない


ということを前提に私がプレゼンしたのは、日本人を対象とした、引き籠りや素行不良による不登校児童、勤労意欲喪失者などのために、学習意欲の向上・社会復帰の支援施設建設です。建設と言っても病院を建設するわけではなく、10名程度収容できる小規模な施設で十分なのです。

当社は婚姻無効裁判提訴の要件である原告と証人の精神鑑定受診のために、当社の近隣、マンダルヨン市にある国立精神病院の副院長で、精神鑑定医師/心理学医師が経営するクリニックと提携しています。この医師は精神鑑定医師としてこの国の権威であり、この医師の診断や証言を以ってすれば、裁判官は何も異議を唱えることができないほど有名な人物なのです。裁判顧客を受診でこの医師のクリニックに連れて行くと、問診を受けた後に「テレビで観たことがある有名な人ですね」と驚かれます。この医師にも更生プログラムで顧問協力を願う形を考えました。

緊急性のある病気や怪我などは15~20分でカリボの総合病院に行くことができますし、警察に行くのも同じ所要時間です。セキュリティガードは24時間体制で常時2名、交代制で計4名。日本語対応スタッフ、教師、看護介護スタッフ、ハウスキーパー、メイド、などで計8名程度で10名の入所者をケア。バンカーボート1艘を新規購入、更にできれば屋形船タイプの小型フェリーを購入。オプションとして定番ですが英語学習などのサービス提供も。

施設は建築規制により平屋建てのみとなっており、建設費用が安くなるのでかえって好都合なのですが、床面積で約500平米、部屋は全室トイレ・シャワールーム付で収容者用が10部屋、スタッフ用5部屋、キッチン、食堂、焼却炉+炉熱利用の浴場など。

小型フェリーやオプションは除いて建設と雇用の資金は開業までで180万ペソ、予備として3年間の運転資金合計50万ペソの見積をしました。自然環境保護政策地域なのでリゾートなど観光事業はできません。逆にその条件を十二分に活用することを考えたプロジェクトとして社内で理解してもらいました。

このプロジェクトを進めるのかどうかについては、今後の全グループの取締役会での討議を待つしかありませんが、今回は私自身の企画力も試されたような気がしていますので、このまま放置プレイでもいいのかなと思っています。義母はグループ副会長なので仕方なかったのですが、何か嵌められて彼女の暇つぶしに付き合わされたような感じで、私としては忙しいのに、このような立案を押し付けられた不躾さに腹が立ちました。

怒っても意味ないですが・・・

次回はボラカイ島のビジネス・マーケティングについて語ります。

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