Barros-Keiコラムとは?

フィリピンにおける裁判手続きや結婚手続きなどで多くの誤認情報をネットで見かけます。またフィリピン人からの古い口コミ情報を信じている人も沢山います。以前日本のかなり手広くやっている行政書士グループ会社ウェブサイトに、当社の文章を丸々パクられたことがあります。責任者にすぐにクレームを出し全て削除させました。たとえ肩書きが弁護士や行政書士であっても、日本にもフィリピンにも専門知識のない業者は数多くいます。しかし知識や情報を持っていない依頼者の方たちは、その肩書きを信じて頼るしかありません。そういう現状から本コラムが、これからフィリピンで何かアクションを起こそうとする方たちのために、少しでも役立つものになればいいと思います。また立派な肩書きを持つ人たちは、それに恥じないようもう少ししっかりと勉強してから情報を発信すべきです。そもそも知識や経験というものは、フィリピンに長く在住しているから自動的に得られるというものでは絶対にありません。同じようなレベルの人間としか交流がないのであれば、たとえ50年在住していようとも、濃い日々を過ごした人の1ヶ月にも及ばないことがあるのです。当コラムの目的はそれらを正し正確且つ最新の情報を伝えることにあります。
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2015年6月22日月曜日

ボラカイ島のビジネス・マーケティング

前回掲載記事の通り日本企業からの依頼でボラカイのビジネス・マーケティングを行うため、4月23日から5月7日の15日間アクラン州に滞在し、その間に3泊4日で2回ボラカイ島に滞在し現況調査を実施しました。

日程は4月23日NAIA-T3からセブパシフィック利用でカリボ空港、
当日は義母が放置しているニューワシントンの養殖場に一泊、
翌24日から27日までボラカイ島に移動し現況調査、
27日から5月1日までニューワシントン、
5月1日から4日までボラカイ島、
4日から7日までニューワシントン、
というニューワシントン・ボラカイ間を往復しただけという感じでした。


ボラカイに向かうのには、ニューワシントンからカリボに出てバンのターミナルに行きました。このターミナルには韓国資本の旅行会社、その会社が運営する輸送サービス、ボラカイのホテル、が三位一体という感じでパッケージとして提供されていました。バンは18人乗りでHyundai(現代自動車)と「K」ブランド尽くしで徹底されていました。

約45分間のフィリピン人運転手お決まりの乗客の安全無視・恐怖ドライビングで、カティクラン・ジェティ・ポート(Caticlan Jetty Port/Jetty Portとは港桟橋のこと)に到着。ボート乗船で約20分弱、ボラカイ・ジェティ・ポート(Boracay Jetty Port)到着。電動コミューターでDモール(d'mall)、徒歩でホテルにチェックインという行程でした。

有名ホテルに直行する宿泊客は別にすれば、ボラカイ・ジェティ・ポートからコミューターで来る観光客の殆どは、このDモール入り口となるクラフツ・オブ・ボラカイ(Crafts of Boracay)というスーパーマーケットのビルが乗降のランドマークになっていました。
このビルは実質韓国資本の商業ビルで韓国人客は殆どがこのビルの前で降車します。

ホテルは最初はシャングリラやサーフサイドあたりのホテルをネット予約しようと考えましたが、クライアントのビジネスターゲットとは明らかに違っていることから取り止めました。

Dモールとステーション2の間に2~3スタークラスのローカルホテルが無数にあるので、予約せずに当日飛び込みで交渉に回り、築半年で4人一部屋1,400ペソの好条件のホテルを、我々一向は全員で8名だったため2部屋取ることで落ち着きました。

ボラカイは2001年以来の訪問だったので、事前に近況をWebサーチし、韓国人カップルの海外ハネムーンや、家族のリゾート旅行先になっていることは想定内でしたが、それ以上にボラカイが韓国人の町と化していることに驚きました。

14年でここまで変わるのか…私には自然破壊が進行したとしか見えませんでした。

ちなみに2001年7月当時のホワイトサンドビーチはこんな感じでした。










アングルは違いますが今はこんな感じ。










ボラカイという島名があまりに有名になったためご存じない方も多いと思いますが、アクラン州マライ自治体内にある島の呼称であって住所とは違います。ボラカイは、マノク-マノク(Manoc-Manoc)、バラバグ(Balabag)、ヤパク(Yapak)という3つのバランガイから成る島なのです。観光客が集中するホワイトサンドビーチはマノク-マノクとバラバグにまたがる砂浜です。この2つのバランガイはすでに韓国資本によって制覇されているように見受けられました。

ヤパクは現在も貧困層階級の町ですが、これからビジネス進出を検討するなら狙い目かもしれません。

というのは皆さんご存知のマニラ・オーシャン・パーク&H2Oホテルのディヴェロッパーである、Seven Seas Properties,Inc.がこのヤパクのプカ・ビーチ(Puka Beach)に、Seven Seas Boracay Hotel & Residencesというリゾートホテルを建設中だからです。
Seven Seas Propertiesは中国系企業で、開業当時どうしようもなくアホな運営をしていたマニラ・オーシャン・パーク事業に参入、現在そこそこの集客がある施設へと変貌させています。ヤパク住民の反対運動がありますが、リゾートホテルが完成すれば地域にも有形無形の恩恵を齎すものと考えています。こうした発展が見込まれる地域に便乗したビジネス戦略があるのです。

ホワイトサンド・ビーチのエリアに戻りますが、バーやレストランが乱立している様子は、無計画に海の家を乱立させていた一時の湘南海岸を思い出してしまい、見た目にとても気分の良いものとは言えませんでした。店舗とビーチの間は通路になっていますが、人が多すぎてすれ違うのもぶつかるのを避けながらの歩行になり、人と肩が触れ合うことを嫌がる日本人には不適です。(もっともモールなど、どこに行ってもそうですが)

この各3泊4日の2回に渡る調査の結果、クライアントのボラカイ進出に見合うコンサルティングができました。ここではその詳細をお伝えすることはできません。しかしボラカイへのビジネス進出を考えている人のために、ほんの一部ですが押さえておきたい情報を紹介します;

1.観光客の30%は韓国人、60%がフィリピン人、残りは中国人、東欧/北欧人も多い。

2.外国人観光客の推定平均年齢28歳(児童は含まず)。
  痛いオヤジ系は探すのが大変な程見かけない。


3.日系(日本料理・ラーメン店、ダイビング)は苦戦or閉店。
  価格は同レベルのマニラにある店と比較して約20%高。


4.中華料理系・焼肉系は苦戦or閉店。
  価格は同レベルのマニラにある店と比較して約10%高。


5.集客力のあるフードビジネス
  ・SUBWAYなど味が確かなファーストフード
  ・アイスクリーム、ワッフル、クレープなどスイーツ系
  ・グリル系レストラン
  ・ポテト系・BQQ系の屋台(カートフランチャイズ)
    価格は同レベルのマニラにある店とほぼ同じ。


 6.ダイビング・ショップ運営は団体客招致能力があれば可能。
   価格はバタンガスやセブよりも高い。


 7.バーやカフェは競合店との差別化が必須。一時流行ったミルクティー系は苦戦。
   集客力のあるバー・カフェ
   ・アトラクション系
   ・スポーツバー系
   ・コーヒーフリーク向けカフェ
  価格は同レベルのマニラにある店とほぼ同じ。


8.土地の相場価格はビーチフロントで1平米あたり1万2千~2万ペソ、
  ビーチフロント外では1平米あたり7千~1万ペソ。
  しかしビーチフロント外はその相場の半分程度の価値しかなくビジネスには不向き。
  ビーチフロントは高いので原資回収期間持ちこたえるだけの資本力がなければ無理。


9.パラセイリング、サーフィン、ウインドサーフィン、ヨットなどの
  マリンスポーツ事業は良好。ただし乱立しているため客引きに必死。
  トレンドになっているパラセイリング利用料金は15分1,500ペソが相場。
  他の利用料金はバタンガスやセブよりも高い。
  ヨットの帆などに入る広告は有名企業が殆ど。
  広告料は月8,000ペソと日本人がマニラでやっている広告料と比べ格安。


10. 韓国資本での運営がマリンスポーツでは70%、
  フードビジネスで50%、ローカルホテルで30%、
  旅行代理店・輸送ビジネスで30%、スーパー20%、
  お土産・ファッション・ブティックで30%を占めている。
  韓国資本で運営されている事業の従業員たちは
  コスパで差をつけるため比較的待遇を良くしている。


調査を続けながら感じたことは、ホワイトサンドといっても感動するほどきれいではない、当てにならないランキングは無視して、格で言えば沖縄の方が断然上である、観光客はメディアに踊らされているだけかもしれない、というネガティヴなことばかりでした。

今回のマーケティングはヒアリングが中心でしたが、コミューター・ドライバー、観光案内所スタッフ、レストランやバーのオーナー/スタッフ、3つのバランガイ長/観光開発委員、ホテルマネージャー、セキュリティ・サービス責任者、マリン・ビジネス・マネージャー、建設業者、漁師家庭の地域住民、外国人観光客、そしてフィリピン人観光客など多岐に及ぶ範囲で実施しました。

中でも私に最も協力してくれて、最高のソース元となったのが、韓国資本のマリン・ビジネス・マネージャーであるトンボイ(Tomboy)でした。彼(彼女)はカレッジ卒だそうですが、さすが観光地で働くだけのことはあって、英語のキレと笑顔は抜群でした。

私のことをずっと韓国人のビジネスマンだと思っていたらしく、日本人だと言うと少しガッカリしたような表情を浮かべていました。そこでその理由を聞く代わりに外国人観光客の評判について尋ねました。

ここマライ(地元の人間はボラカイとは余り言わない)では、韓国人の特にビジネスマンたちは非常に評判が良いが、日本人はボラカイに来ても高級ホテルにいるだけであまりビーチには出てこない、プールで泳いでいるみたい、ともっぱらの評判だそうです。また日本人の殆どは40歳後半から60歳くらいの人たちばかりで、たまに見かける若い日本人はマナーが悪く言葉も分からないのであまりボラカイ向きではないと思う、東欧/北欧人は大騒ぎするのでどちらかと言えば嫌われている、中国人はあまりレストランには出かけないけど、ショッピング好きなのでショップでは歓迎されている、という話も聞けました。

他の場所でのヒアリングでも、何だ日本人か、というような歓迎しない態度も取られていましたので、国の評判も土地柄によりけりなのだと感じました。

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2015年6月17日水曜日

フィリピンの養殖ビジネス/台風グレンダで頓挫した養殖業の現状視察(その二)

前回記事の続きです。

視察しヒアリングも行った過程で、私が感じたことはそもそも何でこの視察滞在が必要だったのかということでした。台風被害と言っても20~30cm程度の床上浸水だったそうで、それならば壊滅状態というのは誇大表現過ぎるなと感じていました。

義母が投入した資金は土地購入も含めて総額70万ペソ。彼女は当社のグループ企業でアパート経営事業、賃貸コンドミニアム事業などを次々と成功させているにも拘らず、身内に任せきって管理していなかったツケでしょうか、この程度のもので終わってしまっていることを情けなく思いました。

とにかく先ずは要件を考えると

1.マングローブの汽水域
2.自然環境保護政策地域
3.市街地への移動はボート
4.ネット環境、携帯電波状況は良好
5.水道問題なし
6.計画停電頻度はマニラと変わりなし
7.住民のホスピタリティは都心部よりもはるかに良い
8.外国人慣れしているので珍しがられない


ということを前提に私がプレゼンしたのは、日本人を対象とした、引き籠りや素行不良による不登校児童、勤労意欲喪失者などのために、学習意欲の向上・社会復帰の支援施設建設です。建設と言っても病院を建設するわけではなく、10名程度収容できる小規模な施設で十分なのです。

当社は婚姻無効裁判提訴の要件である原告と証人の精神鑑定受診のために、当社の近隣、マンダルヨン市にある国立精神病院の副院長で、精神鑑定医師/心理学医師が経営するクリニックと提携しています。この医師は精神鑑定医師としてこの国の権威であり、この医師の診断や証言を以ってすれば、裁判官は何も異議を唱えることができないほど有名な人物なのです。裁判顧客を受診でこの医師のクリニックに連れて行くと、問診を受けた後に「テレビで観たことがある有名な人ですね」と驚かれます。この医師にも更生プログラムで顧問協力を願う形を考えました。

緊急性のある病気や怪我などは15~20分でカリボの総合病院に行くことができますし、警察に行くのも同じ所要時間です。セキュリティガードは24時間体制で常時2名、交代制で計4名。日本語対応スタッフ、教師、看護介護スタッフ、ハウスキーパー、メイド、などで計8名程度で10名の入所者をケア。バンカーボート1艘を新規購入、更にできれば屋形船タイプの小型フェリーを購入。オプションとして定番ですが英語学習などのサービス提供も。

施設は建築規制により平屋建てのみとなっており、建設費用が安くなるのでかえって好都合なのですが、床面積で約500平米、部屋は全室トイレ・シャワールーム付で収容者用が10部屋、スタッフ用5部屋、キッチン、食堂、焼却炉+炉熱利用の浴場など。

小型フェリーやオプションは除いて建設と雇用の資金は開業までで180万ペソ、予備として3年間の運転資金合計50万ペソの見積をしました。自然環境保護政策地域なのでリゾートなど観光事業はできません。逆にその条件を十二分に活用することを考えたプロジェクトとして社内で理解してもらいました。

このプロジェクトを進めるのかどうかについては、今後の全グループの取締役会での討議を待つしかありませんが、今回は私自身の企画力も試されたような気がしていますので、このまま放置プレイでもいいのかなと思っています。義母はグループ副会長なので仕方なかったのですが、何か嵌められて彼女の暇つぶしに付き合わされたような感じで、私としては忙しいのに、このような立案を押し付けられた不躾さに腹が立ちました。

怒っても意味ないですが・・・

次回はボラカイ島のビジネス・マーケティングについて語ります。

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2015年6月16日火曜日

フィリピンの養殖ビジネス/台風グレンダで頓挫した養殖業の現状視察(その一)

娘の学校が夏期休業期間(3月下旬~6月初旬)なので、4月23日から5月7日の15日間の日程で、家族で休暇を取りボラカイに旅行する計画を立てていました。

ボラカイと言えば西ビサヤ地方アクラン州です。このアクラン州にはボラカイとはカリボ空港を挟んで反対側に、漁業・養殖業が盛んなニューワシントンという地域があります。同地域出身である妻の母親(弊社の親会社副会長)が、その実家近くで親族に養殖業を運営させていました。しかし2013年11月の台風グレンダ被災でほぼ壊滅し、その後は放置状態ということなので、今後どうするのか私が視察してプロジェクトを立案することになったのです。

また後日記事にする予定ですが、たまたまこのタイミングでボラカイのビジネス調査を日本企業から依頼されたこともあり、養殖場視察、ビジネス調査、家族休暇の三つを兼ねて行くことになりました。

カリボ空港に到着して先ず感じたのは、韓国投資が想像以上に進んでいることでした。すぐに調査に入りたいという逸る気持ちを抑え、トライシクルで親族のバンカーボートが待つ船着場(ニューワシントン港)に移動、港のローカルマーケットには目もくれず速攻で乗り込みました。バンカーボートと言ってもモーター付ですので約15分で到着。ニューワシントンは陸続きの地域ではないこと、親族が住み養殖場があるのはその中のピナムカン島ということ、この地域には養殖池(Fishpond)が無数にあること、そしてこの地域はマングローブの汽水域であるということをGoogle Map & Searchで調べ初めて知りました。

ボラカイは今のように有名になる前の1998年と2001年に訪れていたので良く分かっているつもりでしたが、まだまだ地方には知らない場所が沢山あることを知りフィリピン恐るべしと思い知らされました。

3つの養殖池の内2つの間に浮かぶようにクボハウスがあります。クボハウス(Kubo House、タガログはBahay Kubo)はニッパ・ハット・ハウス(Nipa Hut House)とも呼ばれていますが、風通しが良いので海に面したこの場所では夕方から冷えてくるのでエアコン不要、しかし外見からは想像していませんでしたが、2BR(日本では2LDK)、温水シャワー付CRありという立派な内装でした。

義母の5親族がこの区域と対岸の区域に住んでおり、漁業、養殖業、農業(果樹&野菜)、養鶏、畜産を生業として生計を立てています。普段の生活で買わなければならないのは米と飲料だそうで、これは物々交換的な取引をしているということでした。

親族全部合わせると6ヘクタール以上の土地面積がありそのうちの2ヘクタール弱の土地を義母が購入し養殖池を作ったのです。養殖池は3つで合計1ヘクタール弱でした。義母の土地には15本のココナツ、22本のパイナップル、4本のアップルマンゴ、3本のグリーンマンゴ、その他カラマンシーやマルンガイ、モンゴ等々が成育していました。親族の土地は対岸の一つを除けば全て隣接(土地が広いので家屋同士は離れているが)、乳牛8頭、豚24頭、鶏約40羽を親族全体で世話しており、海上ではやぐらを組んだり網を仕掛けてカニ(ノコギリガザミ/マッドクラブ)やエビ(トゲサケエビやブラックタイガー)の漁、そして牡蠣養殖も行っていました。

また当自治体の環境保護条例によって車両乗入禁止になっていて、自家用モーターバイクのみ許可されている、従って移動は主にモーター付バンカーボート利用となっているのです。親族には合計3槽ボートがあり、1台は客船としてビジネス利用していました。12人乗のボートでニューワシントン港からの料金が一人150~300ペソと高額なのに驚き、持っている者勝ちの殿様商売なんだと思いました。

この滞在中私にとっては新鮮な果実を食べることが唯一の楽しみでした。特に椰子を取ってもらい割った実からスプーンで果肉をこそいで食べる、私はワサビと日本の醤油を持ち込んでいましたので、さながら刺身のように食べていました。味は全く違いますが一見握り寿司に乗っているイカのようでした。困ったのは、私が喜んで食べていると毎日食卓に並ぶようになったことです。これぞフィリピン人のおもてなしで多くの方が経験していると思いますが、さすがに毎日出てくると厭きます。それでも嫌な顔もできないので我慢して食べ続けた結果休暇の最終日にはもう二度と食べたくないと思うようになりました。

話を本題に戻しますがそういった場所で義母もさぞかし立派なプロジェクトで養殖業を運営しているのかと考えていましたが、数日間の滞在でフィリピン事業で発生する一般的な問題、管理のずさんさが際立っていることが判明しました。管理は義母の兄が担っていたのですが、彼は昔気質の漁師なのでそれを聞いた時点でマネージメントできるはずがない、また義母は資金を出したら後のマネージメントは人任せというスタイルなので問題発生の環境が当初から整っていた、そして管理者は元々能力的に無理な上に台風被害を受けたことで意欲も失った、という状況であることが分かりました。

折角マーケットへの販売ルートが確保できているのに、養殖業を再建しないのは勿体無いと考えたのと、いっそのこと新規事業を行うのもアリかなとも思えたので、それらの可能性を会社に戻ってから話し合いました。

養殖池の現状:
  養殖中?(但し餌料を与える以外は放置状態。気が向いたら自分たちで食べる)
   バゴス・・80尾以上(稚魚はカウントできず)
  紛れ込んでいる稚魚(指摘しても無関心だった。カニの餌か)
   太刀魚(エスパーダ)・・50尾以上
   ウナギ(ベイビーイール/ビカーラ種)・・30尾以上、
   ハゼ類(カウントせず)
  その他(カニ)
   ノコギリガザミ・・稚ガニを含め推定80匹以上
   ヤエヤマシオマネキ・・稚ガニを含め推定150匹以上


皆さんだったらどんなアイデアを提起しますか?

続く

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2015年6月15日月曜日

叔母新居訪問で垣間見た賢いフィリピン人の投資ビジネス

義叔母の新居を当グループ企業の建築デザイナーに設計させ、私がさらに細かい注文を出して約半年間の工期を経て2ヶ月前に完成しました。しかし遊びにお出でという誘いを何度も受けながら忙しさに感けて断ってきました。今月に入り痺れを切らした義叔母が一体いつになったら来るんだと矢の催促をしてきたので、さすがにこれは放置しておくわけにもいかず6月12日から一泊で訪問してきました。

場所はケソン市バタサン。敷地面積は120平米、床面積は180平米の日本式で言えば4LDKです。広くはないですが見掛けは写真のように見栄えの良い仕上げになっています。

デザインは当初は最近多くなってきたZENスタイルだったのですが、私はあのデザインは近代的ですが薄っぺらな印象なので大嫌いなのです。そこでもっと重厚感のある造りで建築費用は安くても見栄えの良いものを造ろうというコンセプトで行った結果がこの住宅なのです。

窓は網戸付のアルミサッシで窓外には外部からの進入防止に写真のようなデザイン枠を付けました。更に1階と2階にはCCTV監視カメラを4箇所に設置、出入り口は鋼鉄枠にオーク製ドア、裏口は鋼鉄製の分厚いドアとセキュリティにはデザインをできるだけ損なわない範囲で万全を期しました。

2階は部屋の周囲がぐるりと回れる回廊デザインのベランダになっており裏手には物干しができるようになっています。私が特に拘ったのは壁の厚さと電気の配線、排水管で壁は他の住宅と比較しても1.5~2倍の厚さ、コンセントや電話、TV配線も数を普通の倍以上にしエアコンの排水も外に垂れ流さないで排水管の埋め込み、壁厚な分、ビルトインのキャビネットなども全て設計、という手の込んだデザインとしました。

ところで本題に入りますが、この一戸建の総額がお判りになりますか?

土地は1平米1,000ペソなので12万ペソ。建築費用は限界まで安い資材を調達したおかげで約80万ペソ。ケソン市内それもコモンウエルス沿いの地域で総額100万ペソかかっていないのです。通常この土地ならばなんと1平米8千~1万2千ペソが相場です。

この土地の驚くべき安さにはカラクリがあります。この地域の土地は今から30数年前に政府の私有地として、一般庶民に25年間の借地契約で無料(!)貸出したものなのです。当時は農業政策の一環として農家軒数増大目的のために農夫家庭を中心に流入させるのが政府の狙いでした。しかし実際にはマイクロビジネス中心の一般住宅街が形成され農地的要素は消滅したのです。

そして契約期間を過ぎたため政府の主導により、地上げ政治家であるハイエナたちの参入を阻止することもあって、国家住宅庁(NHA=National Housing Authority)及びケソン市役所の管轄とし、正確な再区画割によって随時購入できるシステムに変更されたことにより、地域住民は今回の義叔母のような恩恵を受けることとなったのです。

義叔母はOFWとして稼いだ資金を元に、17年前にこの地域の土地を4箇所取得、それぞれに住宅を建築し、賃貸住宅ビジネスを始めました。ローカルしかもこのような地域なので家賃は3千ペソ均一、他にテナント物件3件の賃貸、食料品店、ケータリングも行っています。マイクロビジネスが密集しておりすぐ近くにはローカル市場があるので、そういった事業主対象に金貸しも行っています。ちなみに現在の貸付総額はすでに38万ペソだそうです。義叔母は折角建築したこの住宅も賃貸に出す計画と聞いています。

この政府による無料借地の地域は全国に十数箇所あるということです。詐欺まがいのコンドミニアム投資なんぞにいつまでも目を向けず、こういった土地を如何に手に入れるか知恵を絞ってみるのも良いかと思います。

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2015年4月8日水曜日

ビザ代理申請機関日本人スタッフの「無知と無礼さ」

もう数ヶ月前の話になりますが、当社を通じてフィリピン人3名がビザ申請を行った時のことです。

普通の親族訪問ビザ申請でこの3名は代理申請機関である某旅行代理店に於いて手続をしました。当社では通常他の場所にある同社支店で行っていたのですが、この時は申請者の居住地に一番近い場所で手続をすることになったのです。そして初めての場所での申請ですので視察を兼ねて私も同行しました。

この申請者たちはすでに1年前も同じビザ申請を行っています。一人は当社により婚姻無効裁判を開始した直後でしたが、何の問題もなく取得でき来日を果たしています。

申請当日その旅行代理店には現地採用の日本人スタッフが1名でした。このスタッフはタガログ語が話せる日本人ですが英語はよく理解できない、というよくある現地採用者のパターンでした。この男は太っていて色黒だったので私は最初フィリピン人かと思っていました。そして書類審査が始まりましたが、店内は申請者で溢れ返っていたため私は外で待つことにしました。

暫くして申請者が私のところに戻ってきて、書類不足で受理してくれないと言います。今回2回目の来日ですが油断せずに前回よりも更にサポート書類も揃えたにも拘らず。

そこでその日本人スタッフのところに行き理由を聞きました。彼は「日本人の身元保証人/招聘人と申請者の内の一人とが一緒に写っている写真がない。これはRequirements(必要書類)だから」とタガログ語で言います。

私はタガログ語はかっこ悪い言葉で話すのは抵抗感があるため、いつも通り英語でその男に反論しました。

「大使館ビザ申請必要書類で明記しているものがRequirements。写真は大使館が疑義がある場合に要求する追加書類、サポート書類に過ぎない」

この男はそういった基本的な知識すら理解していない。しかも私が英語で文句を言ったため彼は良く理解できず緊張を誤魔化すように書類のホチキス止めを始めました。態度が気だるそうで非常に横柄、何だ、コイツという感じで書類を偉そうに処理している。しかもまだRequirementsだと主張し続けながら。

この男は代理申請機関の単なるスタッフです。何の権限も持たない人間であるにも拘らず彼の態度は大使館の領事すら絶対にとらない酷いものでした。

そして何を思ったのか急に話題を変えて、「Annulmentまだ終わってないだろ。何でそんなに時間がかかっているの。いんちきなところに頼んで騙されているんじゃない?俺に頼べば半年で終わるのに」という馬鹿なことを言い始めました。

婚姻無効裁判は開始してからまだ1年半です。正規の手続ならば終わるわけはないのです。

この男は自分が何を言っているのか分かっていません。彼の立場は申請書類を確認し代理で受理するスタッフなのです。何故、婚姻無効裁判の話になるのか?また彼は裁判手続を全く理解していないだけでなく、自分に頼めば早く終わらせることができると勧誘しています。しかも半年で終わることは法規則上絶対に有り得ないことなので、不正をしますよ、と言っているのと同じことになります。

しかしビザ取得することが目的ですので、このスタッフを私が怒っても意味を成しません。ビザ申請手続で嫌がらせをされても申請者に迷惑がかかるだけです。そこで妥協点として申請者の内の一名と日本人の方の写真がない理由書を作成し提出することで受理してもらいました。ビザが問題なく取得できたのは言うまでもありません。

この代理店の各支店を統括する責任者も現地採用の日本人です。彼は以前私と話をした時に婚姻無効裁判や離婚承認裁判を相談されることが多いと言っていました。その口ぶりから顧客を斡旋してコミッションを取りたい意図を感じましたので、私はその話題を逸らしそれ以来挨拶程度の話しかしていません。

彼がその後大使館周辺の業者と組んでそれを行っているのか不明ですが、法規制では弁護士を斡旋しコミッションを得ることはできないのです。大使館周辺にもその資格が無いのに斡旋している業者が多々存在している。ましてや裁判が早く終了することなどを謳っているのならば、これはもう不正を行っていると明言しているのと同じなのです。

何れにしても私は機会を見てこの責任者にスタッフのことを話し彼の解雇を請求するつもりですが、責任者が言い逃れをし不問に付そうとするならば、大使館にこの旅行代理店に対する代理申請機関資格取消を申し立てる予定です。

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